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有元秀文作品

まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育

まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育/有元秀文 著


日本人ぐらい国語教育に時間とエネルギーを注いでいる国民はいない。しかも、その効果は最悪と言わざるを得ない。文科省がピラミッド構造で全国を支配し続ける限り、日本の国民は成長しないだろう。現状の国語教育に疑問を持ち、変えようという意志のある方は、本書で提案する国語教育の再建策を読んでいただきたい。 (「BOOK」データベースより)

教科書は完全無欠のもので、絶対に批判してはならないものとして扱われた。この結末はこれでよいのだろうか、登場人物の行動はこれでよいのだろうか、この作家の人物描写はこれでよいのだろうかなど、批判的に読むことが大切なのであるが、今の国語教育はそのように行われていないと述べている。

学生の頃、教科書を完全無欠で批判してはならないと誰に言われたわけでもないのだけど、無言のうちにタブーとされる空気が流れていた。著者は「夏目漱石のこころ」や「太宰治の走れメロス」「新美南吉のごんぎつね」が嫌いだと言い切っている。なかなか勇気のいることではないだろうか。

「この主人公のどこが好きですか」と、おかしなことを聞かれたことを私もよく覚えている。なぜ好きということを前提に答えなければならないのか疑問に思いながらも、「こういって欲しいんだろうな」と先生の望む答えを言っていた。
先生の机の上には指導書。それをみながら展開し、そこにある答えが生徒から出てくるように補足説明し誘導していく。なんてつまらない授業なんだろう。大部分の人が発言するであろう答えをあらかじめ想定し、一人だけ浮かないように無難な発言をしていた。規格外の発言をすると先生が困る。授業が脱線する。私自身、一人だけ違う答えを言って目立つのが嫌だった。かといって他人に合わせるのも苦手で、自分を曲げることのできない頑なさがあった。だからとても辛かった。

やたらとゆっくりしたペースで進められるのも問題がある。昨日は第一段落、今日は第二段落といった具合に進められ、主人公の気持ちを聞いてきたりするのだけど、部分ごとにスポットを当ててしまうと全体の構造を見落としてしまう。前の授業で習ったことも盛り込みながら深みのある答えを出したいのだが、前日のことはもう忘れてしまっている。結局ひとつの段落をパッと眺め、適当に思い浮かんだことを発言するしかないのである。

すぐに辞書で意味を調べることを強要する教師も好きではない。辞書に頼って答えを知るよりもまずは前後の文章を読みながら想像してみることも大切なのではないだろうか。「言葉」というものは、ひとつひとつ英単語を丸暗記するかのように、辞書に書いてあることを正確に暗記し身に着けるものではないと思う。私はそれよりももっとフィーリングで、あいまいなままに感じ取ってきた。ただ、こうして文章を書きながら人に伝える必要がある場合はより絞り込んだ言葉で正確に伝えたいので辞書を引く。それでいいのではないか。

どの国語教材も、結論が「戦争はもう二度とあってはいけないと思いました」「○○がかわいそうだと思いました」「お年寄りを大切にしようと思いました」に行き着いてしまう。道徳的であり、教訓的であり偏りがある。

物語は、もっと雰囲気を楽しんだり書かれていない余白の部分を想像したり自由に受け止めるものだ。そして批判すること――「人物の描写に深みがない」「主人公に共感できない」「精神論ばかりでこれでは現実の問題に対処なんてできない」も大事だ。
それなのに授業では、こちらが考える隙を与えてくれない。パーツだけをみて全体の構造をみない視点は、短絡的であり複雑な思考は身につかない。

こんな教育を受けていては「読書感想文」など急に自由な発想で書けるものではない。テストでの「穴埋め式」だとか「選択式の問題」も思考の幅を狭めることに繋がる。教師が喜びそうな「優等生的模範解答」「作品の上辺だけを捉え、深く考察せずに発言する単純思考」――こういった習慣が無意識に身についてしまっている人が大勢いる。国語教育の弊害は計り知れない。

→著者別[ノンフィクション]
→ジャンル別[エッセイ・ノンフィクション]


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