体は全部知っている | デッドエンドの思い出 |
海のふた | ひな菊の人生 |
サウスポイント | 彼女について |
ハードボイルド/ハードラック | 哀しい予感 |
忙しい中で、忘れてしまっている何かを思い出させてくれる本です。
失ってしまったもの、心の中にしまって置いた大切なもの。みえているのに気づいて
なかったこと。心は悲鳴をあげている、傷ついている。
無意識のうちの奥深くに押し込めていたもの。
13からなる短編集の中のどのお話も、こんな感覚、こんな気持ちになったことがあり、忘れていたことを思い出させてくれます。
それは一瞬感じるけど、パッとすぐに消えてしまうような繊細な感覚。
あれはなんだったんだろう。次の瞬間にはもう忘れている……
大事な大事な大切にしておきたいことなのに。
言葉にするのがとっても難しいこの繊細な感覚を、季節の移り変わりのように、
心模様が変わっていく様子が描かれています。
立ち止まって、一呼吸するとみえてくるものがある。肌で感じるもの、空気で感じるもの。
キレイな空や、光の反射、鳥や虫の鳴き声、心安らぐ美しいものに囲まれているのに、そこにどっぷりと浸かって、見入る時間もないほどに何かに追われていて。
頑張って、毎日進み続けていると、知らない間にストレスがたまっちゃったり、無理してるのにそれに気づかずに頑張りすぎちゃう。
そんなあなたに、もう一度忘れていたあの頃に戻ってみませんかと訴えかけてくれているような気がした。
切なくて胸がキュっと痛くなるような5つの短編集です。
突然にふりかかってきた災難。動揺しつつも、もがきつつも、自分の現状を受け入れ、立ち上がろうとする人達。
そんな人達をちょっと遠い視点からみつめて書かれているように思います。
どんなに困難な出来事でも、傷ついてもう立ち直れないと思っていてもそんな状態はずっと続くわけじゃない。
底に落ちてしまった後は、登るだけ。
もしもあの時、違う道を選んでいたらこうならなかったかもしれないとか、人っていっぱい後悔したりするものだと思う。
だけど、どっちを選んでいたとしても、行かなかった道にも、それはそれでまた別な困難が待ち受けている。
今感じている幸せだって、その嫌な出来事を乗り越えて、前に進みたどってきたから。
それがなかったらこの地点にはいない。
人と人との出会いだって、タイミングであり、その時の心理状況やその他色々なことが影響して深い付き合いになったり、そうでなかったりするのではないでしょうか。
私たちは毎日たくさんの選択をして何かを選び出しているのだと思う。人生にどれが正しいなんて正解はないし、進んでいくしかないのだ。
どのお話もすばらしかったのですが、その中でも大好きなのが『ともちゃんの幸せ』
ともちゃんは心に暖かいものをいっぱい持っている。たくさんの大切な宝物を。だから、旅行に行ったりしなくても、友達がいなくても幸せ。
地味で家にばかりいて何考えてるかわからないつまらない子。周りからはそう思われてしまうのだけど。
思い入れのある音楽を聴くだけで、わあわあ泣いてしまうともちゃん。飼っているインコやラブロマンスの映画だったり。それらのものに囲まれてるだけで、ともちゃんは旅をしたような気分になったり心を揺さぶられたり、内面は変化している。
とても感受性が豊かなのだと思う。きっと、ともちゃんのみる世界は、他の人とは
違う、色彩のある優しい世界なのではないだろうか。
風が頬をなでる感覚とか、虫の鳴き声で新しい季節の訪れを感じたり。他の人にとっては雑音にしか聴こえないものでも、ともちゃんには愛しいもののように。
ともちゃんが好きな人をみる視線もとても優しい。そこにはなんの邪気もなく
欲がないから自分が入って行こうとは考えない。ただ遠くから静かにみつめるのだ。
ともちゃんの悲しい残酷な過去も描かれているけれど、深刻にならないのは、そんな過去があって今のともちゃんがあり、悲しいことも、美しい事も、楽しかっことも、全部ひっくるめて今のともちゃんが形成されているから。
ささやかなことでも、幸せを感じられる。そんなともちゃんが私は大好きだ。
都会を離れ、生まれ故郷である西伊豆でカキ氷屋を開いたまり。その街は昔のよ うな活気をなくし寂れていた。開店したばかりのお店は、慣れないことが多く失敗ばかり。 そんな中、母の友達の娘であるはじめちゃんと、ひと夏を過ごす事になります。
はじめちゃんは、おばあちゃんを亡くしたばかりで傷ついています。 母に言われるまま面倒をみることになるのですが、店は開店したばかりで誰かの 面倒をみる余裕なんてない。そう思いながらも、はじめちゃんと過ごすうちに気持ちに変化が訪れていく。
毎日毎日暗く小さな場所で、氷を削り続けるのは地味な作業。同じことの繰り返
し。時には気持ちが、ポキッっと折れてしまいそうになることもある。
頑張っている自分をみてくれている人がいる。それだけでたくさんの勇気と力が沸
いてくるのだと思う。人は自分と違う人と出会うことで、日々の生活を多角
的にみることができるのだと思います。
とっても魅力的に思えたのがはじめちゃんの父のような人。
気が弱く、欲がなく、損ばかりしている。でも、人を傷つけたりできない。
小さな幸せをみつけられる。身近なものに感謝して暮らせる人。
何かを求めすぎてもいけない。物は奪われても、きっと心には、キラキラ光る大切なも
のがいっぱい残るんですね。
自分だけのこだわり。どんな小さなことでも、自分のペースで歩くことは、とても難し いこと。この本は私に勇気をくれた。まっすぐ歩き続けたいなぁ。 ずっとその先にある明るいものをみて進んで行きたい。
幼い頃の母の死と、幼なじみとの楽しい記憶、不思議な夢をいったりきたり。
現実からは切り離されいつのまにかその空間へ迷い込む。
父も母もいなくかわいそうなひな菊。ずっと喪失感を抱え生きていかなければならない。
あまりにも大きな哀しみは、受け止めるのにも時間がかかるもの。
それが自分の一部となり、馴染むのも突然にそうなるのではなく長い年月を要する。
心の片隅にいつもある哀しみ。あの時の映像、あの時の衝撃――それらを心に何度も蘇らせながらも、静かに受け止め淡々と日々過ごしてきた様子が言葉ではなく、感覚で私の心に響く。
毎日焼きそばを焼く姿に、じんわりと暖かいものが込み上げてくる。
こうやって日々の営みを繰り返し時間は過ぎていくのですね。
優しい文体に包み込まれて、心がふんわりと軽くなった。
子供の頃の初恋。とっても大好きだったのに、離れたくなかったのに大人の都合で遠く離
れた地へ行くことになる。大人になり再び再会。ハワイ島を舞台に、ハワイの風や光、空
気が感じられる素敵な作品になっています。
ハワイという空間がもらたす部分も大きいのかなぁ。時間の軸が別のところにあり、違う
次元にいるかのような不思議な気持ちになりました。
魅力的だと思ったのが珠彦君のお母さんのような人。研ぎ澄まされていて人をぐっと惹き つけてしまうような。他の人達とは違う地点に立っているからこそ、みえるものが人とは 違うんだろうなぁ。
テトラちゃんの言った言葉の中に印象的なものがあります。
「・・・・・・言葉の色がわかるから」
こういう感性を持った人が私はすごく大好きです。大事なのは言葉そのものではなく色。
そういわれてみると言葉に耳を澄ませれば色んな音が聴こえてきそう。不協和音が混じっ
ているもの、一つの響きにも様々な響きがあり、強く響くもの、弱いけれど優しく心を撫
でるようなものとか。
珠彦君のお母さんの言葉の色はきれいでひとつひとつが深いと言ったテトラちゃん。意味
はわからなくても、深みがあることを確実に知っていて、真っ直ぐにそれをみようとする
ところ。近づこう、感じようとするところ。そういうところがすごく好き。
ばななさんの文章を読んでいると、日常の喧騒から解き放され、緩やかな時間の流れを泳 いでいるような開放感があります。日々積み重なる余計な淀みを優しく溶かし、心に不足 しているビタミンを補ってくれるような。澄んだ流れに身を任せ、その感触を楽しみなが ら安心して進んでいくことができるのだ。
由美子は久しぶりに会ったいとこの昇一と旅に出る。魔女だった母からかけられた呪いを 解くために。両親の過去にまつわる忌まわしい記憶と、自分の存在を揺るがす真実と向き 合うために。著者が自らの死生観を注ぎ込み、たとえ救いがなくてもきれいな感情を失わ ずに生きる一人の女の子を描く。暗い世界に小さな光をともす物語。(「BOOK」データベ ースより)
由美子は両親を亡くした直後からの記憶があいまいだ。地に足がついてなくて、まるでフ ワフワと漂う風船のよう。昇一と過ごす時間の中で、徐々に自分を取り戻していくのだけ ど、その数日間がなんとも暖かく心地よいのだ。
昇一と過ごす時間こそが、それまでよりも生き生きと感じられ、ささやかな日常が愛おし く思えてくる。誰かに守られていること、大切な人とずっと一緒にいられること、愛され ていること、自分は一人じゃないんだと実感できること。短い中にそういうものがギュっ と濃縮されていて、私は由美子の気持ちになって安心して身を浸していた。
終盤、予想もつかないような展開になり、心がグサッと激しくえぐられるような衝撃を受け た。人は信じられないようなショッキングな事態に遭遇すると、傷ついたことすら自覚で きなくなる。本文にあった「思うように動けなくて夢の中を走っているような感じ」「わ けのわからない恐れや不安」こんな思いを抱えている人は、由美子を自分に重ねて読むこ とができると思います。
「魔女」だとか「呪い」「降霊会」が出てくるのだけど、決してファンタステックな内容
ではなく中心にあるのは、一人の女の子の救済の物語です。
いいことなんかひとつもないと思っている人、トラウマを抱えた人などに読んで欲しい。
心にほっかりと灯りをともしてくれる癒しの小説です。
「ハードボイルドに生きてね。どんなことがあろうと、いばっていて。」最後になった電話でそう言っていた千鶴。彼女のことを繰り返し思い起こす奇妙な夜を描く「ハードボイルド」。死を待つ姉の存在が、ひとりひとりの心情を色鮮やかに変えていく季節を行く「ハードラック」。闇の中を過す人々の心が光り輝き始める時を描く、二つの癒しの物語。 (「BOOK」データベースより)
「ハードボイルド」は、常に千鶴の影が付き纏う奇妙な夜の体験です。起きていて山道を歩いている時も、夢の中を漂う時も「現実」に生きていながら、「死」が身近にあります。何度も登場する千鶴。だけど怖いとか、そちらの世界に引っ張られるような危機感は何もない。むしろ、見守られているという温かみを感じるし、「あちら」からパワーをもらっている気がするのだ。
「ハードラック」は、死にゆく姉をただ待つしかない家族の心情を描いた作品。ここでも、「死」が身近にあり、その日までわずかな時間しか残されていない。死ぬことがわかっていて本人はしゃべることも動くこともなく、意識のないまま。ゆっくりと「死」を受け入れる時間はあるけれど、それはとても残酷なことだと思う。「死を待つ期間」は特別であり、「姉の不在」がよりいっそう「姉の存在」を濃密にしている。
ずっと歩き続けることなんてできないし、時には立ち止まり「浸る」ことも必要だ。沈むこともあるし、フリーズすることもある。誰でも立ち止まり冬眠する季節があると思う。だけど、いつかここから出られるんだよ、明るい扉はちゃんとそこにあるんだからというメッセージが込められているように思いました。
弥生はいくつもの啓示を受けるようにしてここに来た。それは、おばである、ゆきのの家。濃い緑の匂い立ち込めるその古い一軒家に、変わり者の音楽教師ゆきのはひっそりと暮らしている。2人で過ごすときに流れる透明な時間。それは失われた家族のぬくもりだったのか。ある曇った午後、ゆきのの弾くピアノの音色が空に消えていくのを聴いたとき、弥生の19歳、初夏の物語は始まった。(「BOOK」データベースより)
弥生は、平穏に暮らしているのだけど、どこか物悲しい。ずっとずっと昔に置き忘れてしまった大切な記憶。幸せなのに、満ち足りているのに何かが足りない。フワフワとどこにも着地できない心もとなさ。いつのまにか弥生に同化し、真っ白い霧の中を泳いでいる私がいた。
緩やかな時間。ささやかな日常。父も母も、哲生も、おばさんも、みんなが優しくて温かくて、ほんの小さな優しさが胸に染み入る。せわしなく日々は過ぎていくものだけど、弥生にも優しさがあるから周囲の思いやりに気づけるのだと思う。
ひとつひとつの情景がとってもキレイで、頭で想像するのではなく、肌に染みてくる感じがする。質感や色や匂いまでもが伝わり、目に映る光景から弥生の心情がみえてくる場面がいくつもありました。
タイトルにある「哀しい予感」は決して強いものではなく、ほんのりと漂うものです。でもその先には希望があり、大きな懐に抱かれている安心感があります。心がパサパサに乾いてしまった人にぜひ読んで欲しい。潤いと安らぎを与えてくれる素敵な作品です。